今年の正月のほぼすべての時事番組で農業が脚光を浴びていた。不況の失業対策として、食料不足への新たなニュービジネスとして、環境問題の解決策として、今まで儲からない農業など見向きもしなかった評論家やコメンテーターが口をそろえて農業ビジネスの将来性を唱えていた。
それは間違ってはいないと思うが、あまりに安易に「アグリビジネス」と、農業とビジネスをくっつけて話すのには違和感がある。農業は工業のように計画的な生産が出来ないからそのリスクを国の政策で補い、また、効率的に生産するための農業技術は、一方で人々の健康や環境破壊をまねく結果にもなっている。そのようなリスクを企業が背負って「アグリビジネス」が成立するのか。
アメリカやオーストラリアと基本的に違う中山間地の多い耕作地や風土で、単に農業の大型化や機械化で競争力など持てるはずもないのに、今だその構造から抜け出せない。
本当に農業がこれからの産業だと言うならもう少し具体的に日本の農業像を描いて欲しい。
また、「アグリビジネス」が、一家4人の家業として成り立つ話なのか、地域の農業ビジネスなのか、それとも大きな企業の国策に近い収益ビジネスの話なのか、「前提」の整理が必要だ。
私も一時棚上げしていた農業に今年は少し関わってみようかと思っている。
安全安心な食物をと言うことで国産のしかも有機や無農薬、自然農法の農産物に関心が集まっている。スーパーやデパートではだれだれさんの野菜や肉を売っているし、レストランでさえ、どこどこ農場の野菜を使用しているということで差別化が計られている。
考えてみれば戦前までは当たり前に自然農法だった。水俣病の原因は化学肥料の製造過程で出た水銀である。化学肥料と品種改良が戦後の豊かな食卓を保障したのであり、農業を重労働から開放したのだ。その頂点が遺伝子組み換えであろう。60億にも膨れ上がった世界の人口を飢えさせない為には不可欠な技術なのだと言う理屈である。
有機や無農薬、自然農法はどうしても手間がかかる分だけ、収量が落ちる分だけ高くなる。そんな事はないと言う人もいるが、今のところは割高だと言うのが定説だ。消費者はお財布と安心安全の信頼性とを天秤にかけて買うことになる。お金がなければ多少疑問があっても目をつぶって買えと言うのがわれわれの資本主義社会だ。
ところで総務省の家計調査によると一所帯あたりの食費は平均月額59961円、平均所帯人数が2,54人だから一人当たり23600円/月、一日786円/一人と言うことになる。アメリカは7ドルだそうで日本とほぼ変わらない。しかし、低所得者層は2-3ドルだと言われている。
この一日平均786円の食費で、割高な「安心安全」の農産物を買える人、買おうとする人はどのくらいいるのだろうか。
逆に言えば「安心安全」な農産物を買う人たち(買える人たち)はどのくらいいるのだろうか?
写真はサマルカンド郊外の水源地である。日本の水源地に神社が祭られているように、かの地の水源地にもイスラム教の聖者が祭られていて、女性たちが一日お弁当持参で(炊事の場所が設けられている)楽しんでいる。世界を見ると食料よりも水資源のほうが大問題かもしれない。
日本の農林水産省に当たる役所をイギリスでは環境・食料・農村地域省というのだそうだ。食糧生産と環境問題は不可分、それらと地域経済や地域生活は不可分ということで、食糧自給率を高める際に創設された省庁だと聞く。さすがイギリス。イギリスの憲法はマグナカルタで1215年に制定されたものが今も生きているが、時代を超えて変えてはならぬこと、時代に沿って変えなければならないことをはっきり分けてコンセプチュアルであると同時にとても現実的である。
少なくとも各省庁が同じテーマで補助金を出すような無駄はない。
写真はウズベキスタンの田舎の家の中庭。外には40度の熱風が谷に向かって吹きすさび、細かい砂利が音を立てて飛んでいるが、ここは別世界。片隅にはモモやりんごが実っている果樹園もある。それらの果実の甘いこと。美味しいこと。痩せた過酷な環境に生きる植物は必死で育ち、自らの力で甘く大きな実をつけるのだ。
今年の夏にサマルカンドへ行った。天山山脈の西の果て。シルクロードのオアシス都市として紀元前から栄え、チンギスハーンに破壊されたあと、13世紀にチムール帝国の首都として栄えた都市だ。当時は武力だけでなく、各地から技術者や職人、学者を集め、ヨーロッパの大航海時代が始まるまでは文字通り世界の中心だった。今は、世界遺産の宝庫、である。
夏は「一番悪い季節」で、気温40度以上。強風がふき砂漠ならぬ土漠からの塵が時には肌に痛いほど吹き荒れる。それでも主にフランスやドイツなどのヨーロッパ、日本や韓国からの観光客が絶えない。真っ青な空に美しいタイルのモスクやメドレセ(モスレムの学校)が美しい。
この国の話はおいおい書くとして・・・
ついつい気になるのはごみである。観光客が増えている分ごみも増えているらしい。毎朝、ホテルの前の路上にあちこちからのごみが集められ、トラックが来てどこへともなくもって行く。さすが観光立国たらんとしている国、廃棄物処理も出来ていると思っていたら、山越えして南の都市に行く途中、土漠の真ん中にごみの山を発見。えんえんと見渡す限りのごみ。ほとんどプラスティックごみだから分解することもなく、たまる一方なのだ。
そういえば、ボルネオのサンダカンでも美しい海の潮が引くと、何層にもなったプラスティックごみで海岸が埋まっていると言う話を聞いたし、アフリカのガーナでも道端にビニールなどのごみが捨てられ、すごい量になっていると、ジャイカの職員から聞いたことがある。
経産省がアセアン諸国のリサイクル社会作りを支援すると発表した。主に、ペットボトルや家電のリサイクル技術と仕組みの支援だ。廃棄物の回収と処理(リサイクル)は社会のインフラである。これから発展する国々にこれらの支援はとても良いことだとおもう。
仲良くしている山間いの農家があり、春は山菜、秋はきのこで大宴会をするのが恒例となっている。年に2回東京からはアルコールやお菓子やチーズなどをどっさり持って押しかけ、山菜取りやきのこ採りや、作ってくれている有機野菜を収穫し、やおら大宴会へと突入する。農家のお母さんの手料理が本当に美味しくて延々4時間近く食べ続ける。そしておなかが一杯になったところで車一杯のお土産をもらい、帰りに温泉に入って帰るというのが、ここ何年かの私と友人たちの楽しみになっている。
今年も秋の一日をそうして過ごした。今年は雨が多くて日照時間が足りず、きのこは不作だ。雑木林の中を目をさらにして探したが、食用きのこどころか毒きのこさえとても少ない。
でも心配後無用。お母さんがちゃんと予め採集して冷凍したりしょうゆ漬けにしてくれているのだ。大体私たちの収穫なんて始めから当てにされていない。私たちも食べることが目的だからいい加減なものである。
冥加た冬瓜、きゅうり、なす、かぼちゃなどを収穫して大宴会へ突入。
いやはや野菜尽くしの料理はどれも美味しかった。
きのこ汁の頃になってお母さんが「やっぱりきのこ少ないね。どら、見てくるか」と腰を上げた、と思ったらものの半時間もしないうちに写真の大きな舞茸を持って帰ってきた。こんなに大きなものが取れるのは10年に一度だと言う。「舞茸」とは見つけると大喜びして踊る(舞う)から舞茸と言うのだそうだ。天然ものは肉厚で松茸よりも良い香りがする。
どこで採ったかは秘密中の秘密。「私もばあちゃんから教えてもらったんだよ」と、もちろん父ちゃんにも教えない母ちゃんだけの秘密。
「食糧難になっても大地震が来てもみんなの食べるものだけは作ってるからな。心配するな」と、父ちゃん。持つべきものはプロの農家の友達である。
ヨットで世界一周途中の友人がいる。リタイヤと同時に嫌がる奥様を説き伏せ、クルーとして訓練し、5年前に出航。途切れ途切れの風の便りでは、順調な航海で赤道を超え、南下しつつあると言うことだった。3年前には航海記と記されたCDが送られてきて、それを見ると潮っぽくたくましくなった奥様が舵を握った写真があり、何となく心配していたこちらも、安堵したものだ。ところがそのあとすぐに奥様が船を下りて帰国してしまったという。気になっていたのだが連絡するすべもなく、そのまま月日がたった。
その彼からこの夏一時帰国するから会いたいと言う連絡があり、会った。彼自身は5年前と少しも変わらず、この3年間ニューギニアのポートモレスビーに停泊し、船をアパート代わりにしてのんきな生活を楽しんでいるという。もともと急ぐ旅でもなし、新しいクルーを探せないこともあり、何より、ニューギニアがすっかり気に入って居ついてしまったのだそうだ。
そんな彼から航海の話を聞いた。
「赤道付近ではね、本当に太陽が水平線から現れて沈むまできっかり12時間、つまり、夜と昼が12時間ずつあって、太陽が地球の周りを回っていると言う感じがするんだよね。
2人で夜のウオッチ(見張り)を4時間交代でするのだけど、星も月も出ていない夜は本当の真っ暗闇。そうすると回りは何もない海の上なのだけど、暗闇から松林が浮き上がってきて、その中を進んでいると言う感じがするんだ。本当に松林が見えて圧迫される感じがする。人によっては屏風に囲まれた中を進んでると言う人もいる。
船では電池は貴重だから、真っ暗闇の中を4時間、多い日は8時間ただ座っているだけ。激しいスコールで船が翻弄されたり、船のすぐそばに雷が落ちたり、朝起きたら鯨が船を取り囲んでいて、ぶつかるのではと肝を冷やしたり色々あったけど、この夜のウオッチが一番つらいんだ。」
人は太古の昔から夜を恐れ、そのDNAは私たちの体の中に残っている。ヨットで世界一周は夢だが、嵐に遭遇する恐怖よりもこの漆黒の幻影のなかで何もせずに座っていなければならない(それも毎日!)には耐えられそうもない。永遠に続くかのような暗闇・・・・一番怖いかも。
学生環境ビジネスコンクールem Factory 2008の審査員をした。
初めての体験だったのでとても新鮮だった。
6チームがそれぞれ実際にある企業のビジネスとして新たな事業を提案、それに学生らしさ、環境負荷への貢献、ビジネスとして成立するかと言う3点とそれぞれ審査員の独断と偏見の点数をつけるというもので、なかなか本格的だ。
環境教育や環境ツアー、リサイクル、循環型農業などの提案があり、どれもよく勉強し、ロジックもあり、マーケティングも考えられていて、細部までよく検討されて感心した。
ただ、老婆心ながら気になる点もあった。
ひとつはどれもすぐに実行できるような提案だが、なんだか企業のCSR室か行政の提案を聞いているようだったこと。仕組みや内容はあるのだけど、本当に事業化するためのエンジン(コンセプト)があまり感じられなかった。
もうひとつは小さなこと、ばかばかしいことでも良いからで企業の発想の転換を図れるようなオリジナリティーのある面白い提案が少なかったことだ。
一番感心したのはこのコンテスト事業そのものだ。主宰は環境ロドリゲスという早稲田大学の学生中心のNPOだが、この環境ビジネスコンテストを企画し、スポンサーを集め、全国から集まる参加学生や彼らの作業をサポートし、運営した彼らの事業がグランプリだと思う。
ご苦労様でした。是非続けていって欲しい。
全国学生環境ビジネスコンテストem factory 2008
ここのところ何回か、ある「徘徊老人」と家庭内で煙たがられている人に付き合って東京散歩を楽しんでいる。どこを切っても輪切りのようなブランドショップやショッピングセンターではなく、シャッター通りになって息も絶え絶えではあるけれど生き残っている商店街が面白い。昔、マーケティングの仕事を始めたばかりのころ、マーケティングは地理と歴史であると教えられた。その地に住んでいる人がどこから来ていつごろ住み着いて、どんな時代状況の中で生活を営んでいるかで、そのライフスタイルをある程度分類することができると言う考え方で、その頃の百貨店やストアの出店戦略のマーケティングには大変効果的だった。しかし80年代ごろからテレビの普及とともに皆が同じ情報を共有することで価値観による差異がなくなり、その手法の効果は薄れていったが、それでも今、こうした商店街に痕跡が残っている。たとえば阿佐ヶ谷や高円寺の商店街にはエスニックの雑貨を扱う店が多いが、武蔵小山や荏原のいわゆる下町の商店街には見られない。中央線沿線の戦後2世代目の団塊の世代が、若い頃にヒッピームーブメントの影響を受けた痕跡である。一方で品川区や大田区の商店街は今でも近所づきあいをする下町の商店街として活気があり、写真のようなお祭り気分の氷柱が飾られていたりする。
しばらくテーマを決めて東京を歩いてみようと思う。何が見つかるか、楽しみである。
カーボンオフセットが今、企業や国の環境対策の旬である。
なかなかその概念が難しく一般への浸透はいまいちだが、旅行からコンビニやスーパーで売られる商品にいたるまでカーボンオフセットが付いたものが売られ始めた。
実際のところ、それらがどのくらい一般の人々に買われているのか分からないが、ともかく自分の生活や楽しみから出る二酸化炭素を、商品を買うことで相殺すると言うのがカーボンオフセットである。
ある人がこんなことを言った。「二酸化炭素の削減は大事なことだから、少し高くてもカーボンオフセット付商品を選ぼうと思うのだけど、このお金はどこへ行くのかよく分からない。私がお金を出した結果が頭に描けないから、なんだか味気ないというか、本当かなというか・・・」
この仕組みに慣れていないと言うこともあるだろうが、自然と一体であることで自然を感じている私たち日本人と、人間と相対した存在として自然を感じる西洋人との価値観の差があるような気がしてならない。
カーボンオフセットは自然に負荷をかける自分の行為を「償う」=「相殺する」という合理的な仕組みだが、私たち日本人はそこまで明確に自然に相対しているわけではいない。
そこに、なかなか理解しがたい、また理解していてもお金を出す段になるといまいち腑に落ちない感情が出てしまうのではないかと思う。
やっぱり寄付をするならどこへ、どんな未来へ向かって・・が、目に浮かぶほうが良いよね。少しはお役に立っていると思えるもの。
チベットで暴動?が起きている。?をつけたのは、私の認識では暴動ではなく独立運動だと考えるからだ。チベットは何千年も固有の文化と宗教と歴史を持つ独立国家であり、1949年からダライラマがインドへ亡命した1959年の10年間に渡って中国共産党に侵略された。これは事実であって、他の解釈の余地はない。当時も非暴力を訴えるチベット人たちの助けを世界は無視し、今回も中国の「テロ」「暴動」報道をそのままうのみにすることによって、チベットの人たちの訴えと事実を無視している。当時は冷戦に手一杯で標高3000メートルの奥地の出来事など関心がなかったし、そして今回は巨大な経済力をつけた中国が混乱することによる自国への影響におびえて知らぬ振りを決め込む構えである。。
10年ほど前になるが、東京にダライラマ14世がいらしたときに、何人かで近しくお話を聞く機会があった。宗教最高指導者だし、亡命政府を率いる人だし、ノーベル平和賞を授与された人だから、さぞかしいかめしく謹厳で頭の切れる論客であろうと勝手に想像して出向いたが、実際のダライラマに会って、私の想像は大きく外れた。少年のように無邪気で冗談が大好きで、偉ぶらず、知ったかぶりもせず、あるがままに事実を認めて誠実に質問に答える・・そんな人だった。しかし同時に巨大な知性と奥の深い徳がオーラとなって彼を取り巻いていると感じる人だった。
ダライラマの幼少の頃に受けた教育について何かで読んだことがある。それによると彼のダライラマとしての教育は彼が生まれ変わりとして認定されてすぐ、ほんの小さな子供の頃に始まるが、哲学・チベット仏教・認識論など、まず世界全体の捉え方から始まるのだそうだ。数学とか物理とか国語と言う「科目」はその後に習うのだそうである。120万人とも言われる中国によるチベット民族の虐殺に耐えるだけの彼の非暴力の世界観とは一体どんなものなのだろうか。
今回も彼はチベット民族に対し、暴力をやめないならダライラマを降りると宣言している。相手方の中国ではなく、支配され迫害されている自国民に対して暴力をやめなさいと言っているのだ。
そんなダライラマとチベット民族を再び無視するおろかさに恥を知れと言いたい。


